+なくせない音+

「本気ですか?」

 突然の提案に思わず陸遜はそう言ってしまった。
 それも当然で、姫君はこの寒空の下、鐘を百八回撞こうと言い出したのだから。
 除夜の鐘という行事を教えたのは陸遜自身だが、まさかこんなことになるとは思わなかった。

「……鐘といっても、この刻限から寺院に行くわけにもいきませんし」

 もっともな返答に「それもそうね」と尚香は頷いたが、すぐには諦めず次なる提案をした。

「じゃあ何か代わりになりそうなものは無いかしら。あ、銅鑼はどう?」
「夜中に銅鑼を叩くのは迷惑でしょうね」
「太鼓は?」
「先の戦以来、倉に仕舞い込んだままだと思いますよ」
「鼓?」
「あいにく持参していませんが……尚香様はお持ちですか?」
「……ううん。二胡は――弦楽器よねぇ」
「弦楽器ですね」

 次々に案は浮かぶものの、すぐに却下。
 よほど”除夜の鐘”が気に入ったのか、尚香はまだ代わりを探して唸っている。

「陸遜は何か思いつかない?」
「夜でも迷惑にならないほどの音で、疲れずに百八回鳴らせるものですよね?あるにはありますが……」
「本当?さすが陸遜ね」

 なになに?と尚香は喜んで問い詰めてくるが、陸遜は告げるのを躊躇ってしまう。
 我ながらいい思いつきだから、これで簡単に除夜の鐘は実現してしまうだろう。
 実現して欲しくないと思うのは寒さが嫌なのではなく、面白いことが始まるといって皆が集まって来そうなこと。
 せっかく二人きりなのだから邪魔をされたくない。

「そんなに除夜の鐘をやりたいですか?」
「ええ。一年の罪を除いて、清らかな心で新年を迎えられるのはいいと思うわ」
「みんなで?」
「みんなでよ」

 その見事な即答ぶりに、陸遜は絶対言うものかと思った。
 どうやってはぐらかそうか考えていると、嬉々としている尚香に覗き込まれる。
 
「それで、何を思いついたの?」

 仕種の可愛らしさに決心がぐらついたが、やはり言わないことにする。

「そう焦らなくてもいいでしょう。百八回撞く間に、来年の願いや目標を思い浮かべるといいそうですから、先にそれを決めませんか」
「来年のこと?そうね……陸遜は?」
「幾つかありますが、絶対勝ちたい勝負があるんですよ」
「勝負?」
「ええ、ずっと続いているものですから、そろそろ決着が欲しいんです」

 今年もこうして進展がなく終わってしまったけれど、来年こそはと思っているのだから。
 はっきりと口にはしないから彼女は気づかないのだろう。
 そんな状態も今年までにしておこうと陸遜は思っている。

「……尚香様は?」
「そう言われても、今年よりもいい年になればと思うくらいかしら……」

 具体的に思いつかないと彼女は腕組みをして考え込んでしまう。
 そうこうしているうちに年が明けてしまったらしい。
 刻限を知らせる鐘があたりに鳴り響いて、二人は我にかえる。

「あ……鐘の音。年が明けちゃった」
「除夜の鐘は間に合いませんでしたね。残念です」

 白々しく言ってみると睨まれた。
 さすがに時間稼ぎされたと感じたようで、言葉には棘がある。 

「わざと?」
「いいえ、まさか。ちょうど今、準備をしようとしていたところなんですよ」
「一体何を思いついたのよ」
「甘寧殿の鈴です」

 頭の中でしゃんしゃんと鈴の音がする。
 たぶん彼女も同じだろう。
 澄んでいてもどこか、気の抜ける音が聞こえるような気がする。

「……いいわ、来年――じゃなかった、今年の大つごもりは甘寧に鈴を借りる」

 次こそはと盛り上がっている姫君を横目で見ながら、こっそり陸遜は笑みをもらした。
 なんだかんだといって、二人きりで新しい年を迎えることができたのだから嬉しくて仕方がない。

「私は今年の大つごもりも、こうして過ごせたらと思うだけですけれどね」

 そして一年の終わりも最初も、この人の時間を独占できればと。
 一年後の今に、思いを馳せる。



********
 苑田那智さまの素敵サイト『月下楼』から頂戴いたしました。
 昨年度の孫尚香サイドからの年末風景描写をあわせ読むと、奥行きがさらに広がります。
 表面でかわされるやりとりの中では巧みに匂わせたり隠したりされている、届きそうで届かない互いの想いの微妙な揺れが、何とも淡いときめきと、深く澄んだ透明感を覚えさせてくれます。

いただきもの自慢メニューへ戻る